ノスタルジックで、スタイリッシュな日記。 『エレンの日記』
ゆるやかに打ち寄せてくるコート・ダジュールの波打ち際の向こうに、『華麗なるギャツビー』の著者で、ロスト・ジェネレーションを象徴するF・スコット・フィッツジェラルドの別荘を想像しながら、エレン・フライスはボーイフレンドのスクーターに乗って海辺を疾走する。
「もし事故に遭ってもその辺りの病院に入って、いい景色を眺めていたらいい」と考える彼女は、南仏の陽光の中で感性が解き放たれて、事故も怖くないようだ。南仏イエールで開かれた国際モードフェスティバルに、カルト的ファッション誌「パープル・ファッション・マガジン」の編集長としてやってきたエレン・フライスは、モードフェスだけでなく周囲の静かな情景に見惚れて、日記を書いている。いまのリヴィエラは富裕層のシリコンバレーだと友人に言われても、その中に何か美しいもの、繊細なものを見つけようとしていた。
1992年、オリヴィエ・ザームとともにパリで創刊した「パープル・ファッション・マガジン」は、スタイリッシュな雑誌として忽ち脚光を浴びた。80年代には川久保玲や山本耀司のアンチクチュール革命が起きていたのに、それに相応しい新世代の雑誌が当時パリにはなかったからだろう。『エレンの日記』は、パリのモード界のそんな渦中にいたエレンが、日本の雑誌「流行通信」に2001年から5年間連載したものをまとめた一冊だ。小さいが雰囲気のある写真だけでなく、「南部の春」「フィフティーン・ラヴ」「ツイン・ピークスの夜」……まるでフランソワーズ・サガンのタイトルを思わせる各章は、どれもノスタルジックでとても瑞々しかった。その頃パリで「フィガロジャポン」の特派員をしていた私は、この日記に屡々(しばしば)登場する写真家レティシア・ベナと、よくファッション撮影していたことを懐かしく思い出した。
<文/村上香住子 エッセイスト>
フランス文学翻訳の後、1985年に渡仏。20年間、本誌パリ支局長をはじめとする女性誌の特派員として、取材、執筆。近著に『パリ・スタイル 大人のパリガイド』(リトルモア刊)など。
*「フィガロジャポン」2020年5月号より抜粋
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