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蝶野正洋、黒ファッションの発案者は? 夫婦でゆっくり話した大金の使い方 - スポーツナビ

今では蝶野=黒のイメージが定着しているが、最初はファッション好きの奥さん・マルティーナさんの発案だった

今では蝶野=黒のイメージが定着しているが、最初はファッション好きの奥さん・マルティーナさんの発案だった【Photo by Masashi Hara/Getty Images】

 もしも自分に自由に使えるお金があったとしたら……。

 そのお金をどんな風に使えば、自分の人生に生かすことができるだろう。誰もが考えることかもしれないが俺なりにこの疑問に対して、答えを考えてみようと思う。

 岐阜の治療院で首の治療を受けて、少し回復のメドが立ち、これならリングに復帰できるかも、といういい予感を受け取っていた時のこと。

 以前から俺がほしかったのは、ベンツの高級車。なかでもSクラスがほしくて。長らく憧れていたものだった。

 ちょうど手元には1000万円ほどの自由に使えるお金があった。

 車一台買うのにちょうどいいくらいの金額。また、カミさんのマルティーナも俺の怪我、治療、復帰の過程を見てきたから、好きな車を買うことを勧めてくれた。

 ただ首の治療について、マルティーナには本当に心配をかけてたし、感謝もしたかった。ウチにはその頃子供もいなかったから、レスラーの妻とは別にマルティーナの今後の人生についても考えてあげたかった。

 今ベンツを買うか。それとも目の前の1000万円を元手に次の人生の準備をすべきか。二人でゆっくり話し合った。

悩んだ末に出した答え

 結論は、二人で何かビジネスを始めようというものだった。

 それが、今俺がやっている「アリストトリスト」というアパレル・ブランドの設立につながるのだけど、最初はそこまで具体的なものじゃなかったんだ。

 そろそろ四十代を迎える夫婦が協力してできる仕事は何だろう。

 試合でいつまた首の怪我が再発するか分からない時限爆弾を抱えてるようなものだから、できるだけプロレス以外の仕事にしようって。

 マルティーナはファッションがすごく好きだった。

 1980〜1990年代にアメリカに行くと、どこでも手に入るようなファスト・ファッションの服を着ている人が増えていくのが分かった。でも彼女はそうじゃなくて、有名無名を問わずオリジナリティーの出せるお洒落なブランドの洋服を探して身に付けていた。しかし悩みがあって、マルティーナは体が大きい。当時の日本では洋服が見つからなかった。ファッションのバリエーションが保てなくて、日本では楽しみが何もなくなっていた。

 マルティーナはドイツから花嫁道具の古いミシンを持ちこんでいて、そのミシンを使って自分の服を作ろうとした。でもミシンは日本の規格では使えなかったから日本製のミシンを買おうということになったんだ。

 それが自然な形で、アパレル・ブランドを思いつくきっかけになっていった。

黒のカリスマの誕生

「新しいミシンを使って、俺のリング・コスチュームも作ってもらえないか」と、妻に頼んでみた。そうしたら、結果的に黒を基調にした、俺のリング上のファッションが生まれていった。実はあれマルティーナの発案から始まったものなんだ。

 あの頃、俺はアメリカのWCWという団体に参戦する機会が多かった。そこにマルティーナも連れていった。バックステージで、色んな選手のファッションを眺めていた。当時アメリカのマット界も、リック・フレアーのようなゴージャスなガウンを纏(まと)うというファッションが時代遅れになってきて、レスラーはTシャツ姿でリングに上がるのが流行とされていた。

「でも全員がTシャツというのも、カジュアルすぎてあまりカッコ良くないよな」

 そんな会話を夫婦でしていた。だからといって猪木さんや馬場さんが着ていた、和服のようなガウンが着たいわけじゃない。そこで彼女が思いついたのが、光沢のある黒のロングガウンというコスチュームだった。アメリカのトレンドとは違うし、かつ選んでいる人も少ない見せ方を彼女は探してくれた。

 WCWのバックステージには専門のスタイリストも控えている。マルティーナの作った俺のガウンを見て、専門家の彼女たちが「これ、すごくよく出来てるわね」なんて誉めてくれた。マルティーナもそんな評価を耳にして、悪い気はしない。むしろ自分のファッション・センスに自信を深めていったんだ。

 何か二人でできるビジネスを。そんな当初の想いは、時を経て、彼女が得意なアパレルにしようという発想に結びついていく。彼女の持ち前の才能が発揮できる職業として、俺はオリジナル・ブランドの設立と経営という道を選ぶことに。

物欲に振り回されない

 結果は吉と出た気がしている。あの時ベンツを買っていたら、確かに一時の所有欲は満たされていたかもしれない。でも何年かしたら、きっとまた違う車をほしがっただろうし、物欲にはキリがない。高額の買い物をする代わりに、自分たちの今後の人生にその資金を役立てることで、思いがけなく新しい生き方が見えたんだ。

 今思えば、全てのきっかけとなったのは、マルティーナがドイツから持ってきた一台のミシン。それは花嫁道具として、大好きなお婆ちゃんから譲り受けたものだった。彼女は父親がいなかったので、お婆ちゃん子として育っている。だからこそ、本当に大事なミシンだった。

 日本で新たに買い直したミシンから、俺のコスチュームも生まれ、さらにはアパレル・ブランドの立ち上げという展開にまで広がっていった。

 俺が、この出来事で学んだことは「生きたお金の使い方」があるということ。

 もしも手元に少し余裕があったなら、その金を将来の自分たちに投資してみること。急いで消費に回さないこと。もしもビジネスが上手く回れば、資金はさらに増えていくことも考えられる。

 お金を大切に使いたい、有意義に使いたい。

 誰だって本当はそうしたいと願っている。

 俺ら夫婦は、この時期にそうした価値ある経験をできたことを誇りに思う。

 正直、知らない職種の仕事は、最初は慌ててばかりだった。でもそれが俺にとって、中高年期の人生を生きていく活力や励みを与えてくれるものになっている。思いきった決断をして、本当に良かったと夫婦で笑えるって幸せだ。首の怪我にも感謝しないとな。

※本記事は書籍『生涯現役という生き方』(KADOKAWA/蝶野正洋:第7章:価値ある体験に金を払う)からの転載です。掲載内容は発行日(2016年6月24日)当時のものです。

<第9回「蝶野正洋が社会活動を続ける意義」は6月12日に掲載>

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