20代というのは誰にとっても大変な時期。自立して、キャリアへと繋がる情熱を傾ける何かを見つけて……リスクと失敗ばかりの10年間のはず。そんなときふと思うのが、成功者たちはどうだったのだろう、ということ。彼らの成功は目の前に突然落ちてきたものか、それとも積み重ねた努力の末に勝ち取ったものか? ファッション業界の大物たちのエピソードから、成功へのヒントが見つかるかも。
ダイアナ・ヴリーランド
1922年、当時19歳だったヴリーランドは彼女の未来の雇用主となる『ヴォーグ』のソーシャライト特集のなかで所有する高級車と一緒に登場。紹介文には「社交界を盛り上げる人々。この冬の最も魅力的なデビュタントのひとり、ダイアナ・ダルジール嬢がキャデラックに乗り込むところ」と書かれている。1928年、20歳で出会った銀行家の夫と共にロンドンに移住。ダンスカンパニーに参加したり、当時の上流社会の女性の流行に倣ってランジェリーショップを経営したり、さまざまなことに挑戦する。32歳でアメリカに戻りソーシャライトとして名を馳せたヴリーランドは『ハーパース・バザー』誌で始めたコラムをきっかけに編集者となり、同誌のファッション・エディターや『ヴォーグ』編集長、メトロポリタン美術館衣装研究所の顧問などを歴任し、希代のファッション編集者となった。
ナオミ・キャンベル
スーパーモデル、ナオミ・キャンベルのキャリアは始めから“スーパー”だ。イタリア・コンティ・アカデミー・ステージ学校で学んでいた10代のときに、彼女はボブ・マーレーのミュージックビデオに出演。その後すぐにモデルエージェンシーのシンクロと契約した。そして18歳という若さで黒人女性として初めて仏版『ヴォーグ』の表紙を飾る快挙を成し遂げた。弱冠20歳で、彼女はすでにトップへと駆け上っている最中だった。
マノロ・ブラニク
デザイナーシューズをこよなく愛し、物資の乏しかった第二次大戦中は靴を手作りしていたと言うほどシューズラバーな母親の元で育ったマノロ・ブラニク。このことは幼いブラニクが靴のデザインに興味を持つきっかけとなり、彼はペットのための靴をつくるのに熱中していたという。20歳のとき、彼は外交官になってほしいという両親の願いに応えるために、ジュネーヴ大学に入学し国際法について学ぶことに。しかし、最初の学期を終えるとブラニクの興味は文学へと移り、23歳で学位を取得後はすぐにパリへと移住し、ヴィンテージショップで働きながらエコール・デ・ボザールで芸術を、ルーブル美術学校で舞台セットのデザインについて学んだ。自分の直観に従って突き進み、のちに世界で最も有名な靴デザイナーとなった。
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May 05, 2020 at 06:07PM
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