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ファッションの「もう一つのありうべき現在」を想像せよ! 【ダイバーシティ時代のクリエイティブ論考】 - VOGUE JAPAN

地球がもたらした異種交配の強制発動。

現在閉店中のNYのソーホーにあるルイ・ヴィトンの店舗。ファサードには、「一旦停止を余儀なくされた旅も、再開されるときが必ず来る」という意味のメッセージが。Photo: David Dee Delgado/Getty Images

毎年4月22日は、地球のことを考えるために設けられた「アースデイ(Earth Day)」だ。しかも今年は、初めてアースデイが登場した1970年から50年目の記念すべき年。だから、本来ならそれにちなんで「サステナビリティ」について取り上げてみたいと思っていた。

しかし、世の中の状況はどうかといえば、地球よりもむしろ人類の存続を考える方が先、という雰囲気が漂っている。いうまでもなくコロナウイルスの災禍が世界中を襲っているからで、決定的な打開策はいまだ見つからないまま、まずはとにかく感染拡大を防ぎ、医療崩壊を回避することが優先されている。

つまりは防衛ラインの構築であり、ディフェンスの徹底。

その結果、多くの製造業が突如として医療用品の供給に携わるようになり、たとえば、電気自動車メーカーのテスラは、自動車用の部品を活用しながらベンティレーター(人工呼吸器)の製造に乗り出した。もちろん、ファッション業界もこの流れに加わっており、LVMHグループエルメス(HERMES)、あるいはグッチ(GUCCI)など有名ブランドを中心に、衣服の代わりにマスクや医療用ガウンを製造し始めた。香水用の容器に、代わりに作られた消毒薬が詰められて出荷されるさまは、今が緊急事態であることを痛感させる。

既存資産の転用で人命を救え!

宇宙空間での危機を乗り越えるべく、英知の限りを尽くして奮闘する人々の姿をスリリングに描いたロン・ハワード監督作『アポロ13号』(1995年)より。Photo: Universal/ Courtesy of Everett Collection

ところで、こうした取り組みを聞いた時に、ふと思い出したのが映画『アポロ13号』(1995年)だった。トム・ハンクスやエド・ハリスが出演したこの映画は、月面着陸を目前にしながらもアポロ13号に致命的な故障が生じたため、やむなく地球への帰還を試みざるを得なくなった実話に基づいている。

この映画の見どころは、アポロ13号のクルー3人を無事に地球に帰還させるために、NASAのスタッフが、オペレータからエンジニア、地上待機の宇宙飛行士や研究者までもが一丸となって、立て続けに生じる難題──そのいずれもがクルーの死に繋がるもの──を一つ一つ粘り強く解決していくところだった。

中でも印象的なのが、ある会議室のテーブルの上に、アポロ13号のクルーがギリギリで命をつないでいる月面着陸船──宇宙船本体は故障のため月からの帰還の際、放棄された──の中に存在する機材をすべて並べ、ここにあるものだけを使って、クルーの窮地を救う方法を考えろ! という場面だった。

とにかく「ありもの」を活用することでなんとか人命を救ってみせる。

そのNASAのスタッフたちの様子が、衣類の裁縫をやめて、手元にある素材を使ってマスクを作り始めたブランドアトリエの職人の姿や、香水の製造をやめて、その代わりに消毒薬など医療に役立つ化学薬品の製造に転じた工場の人びとの姿と重なった。

絶体絶命の危機を「ありもの」でなんとか「切り抜け」てみせたNASA。同じようにして「コロナウイルス対策への既存資産の転用」が、製造手段をもつ世界中で行われている。ファッション産業もその一つということだ。

書き換えられるファッションの意味。

だがこの動きは同時に、ファッション産業に対して強制的な異種交配の機会を与えているようにもみえる。

現在のように世界中の人びとを襲う不可視のウイルスへの感染リスクを経験した後では、衣服に限らず「身にまとうもの全般」について、「身体を守る」という機能への要求が高まることだろう。その結果、たとえばアウトドア用品やスポーツギアとの間の境界も今まで以上に揺らいでいくのではないか。

その場合、象徴的な価値は一旦剥ぎ取られ、機能美という合理性が前面に出る。ちょうど、かつて科学的な機能美という点で「速度」を想起させる「流線型」という概念ならびに具体的な形状が、自動車をはじめとして様々な製品のデザインの雛形となったように。

ファッションにおけるデザインの多くが今まで「女性性」に配慮して変貌を遂げてきたことを思うと、機能に注目した結果生じる境界の解消は、デザインの着想の段階でも、アウトドアの男性性、あるいはスポーツギアの両性性、との間にブリッジがかかるきっかけになるのかもしれない。新たなインクルージョンの機会として、機能におけるジャンルのシャッフルは、今ある商品の置かれている文脈をも揺らがせてしまう。

もちろん、機能性と「私らしさ」のコラボによる「美」は、その次の段階としてきっと現れる。なぜなら、インターネット以後の現代は、なんであれ、自分好みに組み替えることができる「日常デザイン主義」の発想が浸透した社会であり、何かを作ろうとするときの動機として「私らしく」という、常時、鏡を覗き続けるようなナルシズム、あるいはフェティシズムは当たり前になっている。その際、自ら徹底して自己流を穿く人もいれば、むしろほとんどすべてを「おまかせ」で済ませる人もいる。それと同じことが、さしあたって「身体を守る」ことに注力した、その意味で今後増えるであろう「プロテクタとしてのファッション」にも求められるように思える。〈モード〉や〈ファッション〉の意味が加筆される、あるいは書き換えられる局面に差し掛かっているというわけだ。

強制的な越境経験がもたらす変化。

それはファッションの供給形態でいえば、ステラ・マッカートニーのような、ブティックハウスをテックカンパニーにしたい、という声明に沿うものでもある。そして、そうした変化の方向感は、冒頭に紹介したファッションブランドによる医療用品の供給という一時的転進を、製造現場で支えた人びとの間にも実感されつつあるように思えるのだ。きっかけはコロナウイルスへの対応という強制ではあるものの、「身体にまとうもの」として、周辺業界との間をいざとなれば越境できる経験を、短期間に多くの人びとが同時に経験しているからだ。それは特定の業界内だけの広がりかもしれないが、しかしそれでも業界内の人びとは等しく共通して「ありうべきもう一つの自分たち」「もう一つの現在」を、突如として経験してしまっている。そのような体験は、ひとまず具体的な生産活動──縫製や化学薬品の調合、あるいはそれらを束ねた上での実際の生産ラインの組み立て──に携わる人たちの間に蓄積され、しかる後に、商品の企画開発という意味で、デザインのレイヤーにまでフィードバックされることだろう。コロナウイルスとの対峙には戦争の比喩がしばしば用いられるが、特定の人たちが短い間に強制的に共通の体験をしていいること自体は、確かに戦争的経験といえるのかもしれない。

それはまた、ここのところよくデザインの可能性として語られてきた「スペキュラティブ=思弁的」という言葉とも通じている。もう一つのありうべき現在を想像すること。目の前の常識的な様子に対して、目を細めて、なにかその先にあるものを「二重写し」で掴み取る。今までとは違う取り合わせ、違う文脈、違う素材、違う目的……といったものを半ば強引にでも引き出そうとする創造行為。そうして、異なる世界の現実を、この世界に引き寄せる。

その「今ある現実の剥ぎ取り」を、コロナウイルスの災禍は、一気に行ってしまった。すでに目の前の現実が、従来の基準で言えば、十分非現実的な理不尽なものと化している。むしろ、創造や制作に関わるものは、意識して、その非現実性に向き合わなければならない。スペキュラティブなどとわざわざいうまでもなく、現実に穴が空いてしまっている。

地球からの問いにどう答えるか。

プラダ(PRADA)もトスカーナ地域からの要請に応えて医療用防護服8万着とマスク11万枚を生産。Photo: Instagram/ @prada/ PRADA

これは今はまだ、あまり考えたくないことではあるけれど、今後しばらくの間、マスクを常用しなければいけない世界が続くのかもしれない。その時、マスクは、よくSFにある黙示録後のディストピアを象徴するような「ごつい」ものであり続けるのだろうか。

サステナビリティというと、もっぱら「地球が耐えうる」限りでのというニュアンスで語られてきたが──特に日本では「自然に優しい」という常套句があるくらい──、実は、本当に「サステイナブル」かどうかが問われるのは人間の方だった、という隠された真実が暴露されてしまった。地球が悲鳴をあげる一方で、人間も悲鳴をあげている。だが、そんな時でも、種としての人間はきっとしぶとい。

こうして、単に視覚的印象を決める表層の美醜に関わるレイヤーだけでなく、より深層の、個々のファッションアイテムの存在を実際に支える物理的条件に関わるレイヤーにまで、ファッションの意味が問われることになる。その時は、ただ単に「地球に優しい」だけではなく、「地球と対峙する」、あるいはより積極的に「地球に立ち向かう」という意志の現れのようなものが、翻って造形のレイヤーにまで繰り込まれるのかもしれない。

ファッションの強みは、商品自体が表現の塊であることだ。外部からの予期せぬ衝撃によって無理やりにではあるものの、いったん、物理的な素材/部品の組み換えによる、設計思想のレイヤーにまでも降りて行かざるを得なくなったところで、そこから帰還する際に、どのような新たな表現/創作の目的を携えて浮上するのか? 今回の事件が2020年に起こった以上、間違いなく2020年代の方向を規定する。向こう数年間は、このグローバル・パンデミックの経験を、いかにスタイルやカルチャーのレイヤーで主題化させていくのか。

それにしても50回目のアースデイを迎える時に、ウイルスという自然=地球からの猛威を前に人類ならびに人類文明の脆弱さを実感させられるとは。地球は確かに厳しい。だがこうした逆境こそ、創造意欲を掻き立てるものもない。デザインとは、人間が自分を取り巻く自然=環境とのインタラクションの中で磨き上げてきたものであったのだから。

Text: Junichi Ikeda Edit: Maya Nago

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April 28, 2020 at 06:00PM
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